今日から、自分を責めることをやめませんか?

「やらなきゃいけない」と頭ではわかってるのにできない。

周りの人は頑張ってるのに自分は努力できない。
そんな自分が嫌いなのに変われない。
浪人時代、私もありました。
浪人するまでは、
「努力できることが自分の才能」
だと思って生きていました。
人の役に立つことが、自分の生きる価値だと思って生きていました。
実際、目標のためには寝食を惜しまず我武者羅に取り組んでいました。
だからこそ、浪人という選択肢を選びました。
今思えば、浪人するまでの私は、弱さを知らない人間でした。
実際、浪人生活を始めてみると、
今まで見たことのない自分に直面しました。
まったく努力ができなかったんです。
当時は、努力できない自分に言い訳をすることを許さない完璧主義の性格だったので、ただただ頑張れない自分に絶望しました。
こんな自分は生きる価値がないと思いました。
努力できるところが自分らしさで、家族や世界の人々の役に立つ人になることが、私の生きる意味でした。
実際は、ちっぽけな人間で、自分が思っていた自分の長所は、長所ではなかったことに絶望しました。
大学受験に失敗した事よりも、自分の内面の弱さを見たことが大ダメージでした。
こんな私に生きる価値はなく、誰からも必要とされる人間ではない、いなくてもいい存在だと思い、毎日、泣きました。
こんなにも自分は弱いのか、と。
ある日、それまでは考えもしなかったことが頭によぎりました。
その時、家族の悲しむ顔が頭に思い浮かび、その家族の存在が私を思いとどまらせてくれました。
その時、気づきました。
人間は、強いようで弱く、弱いようで強い、と。
愛では何も変わらないと言われますが、が私を救ってくれました。
でも、これからの人生、私は何を目標に生きれば良いのか、生きる意味は何なのか、わからないまま大学に進学し、なんとなく日々を過ごしました。
ある日、哲学の講義で、
「生きる価値とは何だと思いますか?」
という教授の発問がありました。
人の役に立つこと?
何かに必死に打ち込むこと?
名声をあげること?
教授は言います。
「では、人の役に立たない人は生きる価値がないのでしょうか?必死に打ち込むことのない人は生きる価値がないのでしょうか。
きっとソクラテスなら、こう問いかけるでしょう。『そもそも生きることに価値が必要なのですか』と。」
今でも、この問いに対する明確な答えはありません。
答えを出さずに、今を生きるというのも一つの答えだと思います。
ただ私が、私の周りの人に対して思うのは、
良い成績や、良い大学、スポーツのセンス、お金、などを持っていなくても良いから、とりあえず出会ってくれてありがとう
ただ私の家族でいてくれてありがとう
ただ私の友達でいてくれてありがとう
ただ私の生徒でいてくれてありがとう
私にとって、何か利益をもたらしくれる人かどうか、そんなことはどうでも良くて、
その人と出会えて、影響し合って、同じ世界でも違う世界でも共に生きてるというだけで感謝です。
浪人時代、私が感じたような悲しい気持ちを、
誰にも感じてほしくなくて
ただみんなが幸せに生きてほしくて
みんなが自分を責めないように、努力の仕方を伝えていきたい
そう思います。
やらなきゃいけないとわかっていてできない時は
自己分析することや、
「できる」心理状態や環境を作ること
が大切です。
根性論だけでなく、戦略が必要です。
好きな自分になるために。
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本気で生きる大切な人たちの刺激により、
少し熱くなってしまったので、
最後は、我を忘れて眺める
あべのハルカスからの夜景を♡笑
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