多様性を認め合える学校のつくり方

大学生×ママ教諭の勉強会(2020.3.24)

今日は茶谷春奈さんにゲストスピーカーとして参加していただきました。

「多様性を自由に表現でき、受け入れあえる社会を実現できる教育のあり方」が主なテーマとなって議論しました。

子どもたちの多様性を受け入れ合う教育現場であるためには、以下のような学校現場の現状が課題だと茶谷さんは警鐘を鳴らします。

・詰め込み型教育

・先生が生徒・学生に一方的に教える

・試験や評価のために勉強する

という教育を

・多様性が受け入れられる

・生徒・学生の表現の自由

・理解しあえる

・学びたくて学ぶというモチベーション

へ。

多様性がベストシナジーを生む学校教育のあり方
では、何が学校現場から多様性を奪っているのか。
今日、注目されたのは学校現場の評価制度です。

子どもたちは学校で、教科の成績を評価されます。

成績だけでなく、良い生徒・悪い生徒や、「そんなことでは社会で通用しない」などと言った、人間性まで教師が評価していることも少なくありません。

この、大人が子どもを評価するという慣習が、私たちの日常に根強く定着しています。

だからこそ、私たちは日頃から正誤や優劣などのジャッジを他者に対しても、自分に対しても行っています。

絶対的な正しさなどないのに。

実はこの「ジャッジする癖」が私たちに多様性を許容することを拒ませ、私たちに生きづらい人生をもたらしているのだと私は考えています。

なぜなら、どちらが正しいか、どちらが優れているかをジャッジすると、誤っている劣っているとジャッジされたものは排除されるからです。

だから必死に、自分が正しいこと、自分が優れていることを証明しようとする

どっちも正しいという答えもあるのに。

両方を組み合わせると、新しいものが生まれるということもあるのに。

多様性がベストシナジーを生む学校教育のあり方をつくるために、私が重要だと考えていることは次の2点です。

① 生徒の人格を評価しないこと

② 先生の多様性が許される学校であること

 

① 生徒の人格を評価しないこと

学校の先生が行う、教科の評価は、あくまでも教科に対する生徒の知識や技能を客観的に数値化したものであって、ただそれだけに過ぎません

そもそも、その評価が正しいとも限りません。国語の読解力をテストで測ることができているかというと、実は記憶力を測っているだけだという実態もあります。

だから、定期テストでは高得点を取れるが、実力テストや模試など初見の問題にはサッパリといったことが起こります。

先述したように、学校の先生には評価癖があって、つい生徒のある一側面だけを見て、その生徒の人格を評価する傾向もなくはありません。

その際、先生の「正しさ」基準に満たない生徒が低評価を受けがちです。

そのような慣習が私たちに定着してしまっているため、ある特定の「正しさ」があるということに何の疑いもなく生き、「何が正しいのか」を求めて生きているように思います。

だから、「正しい子育て」が存在するように錯覚し、常に自分が他者から評価されている気がして、ママから自分らしい楽しい子育てを奪います。

そして実際、「お母さんがあれなんだから…」と評価されています。

私は、お母さんをジャッジするのではなく、なぜお母さんが子育てに困り感を抱いているのか、それを解消できる手立てはないかという「事実」と向き合うことの方が重要だと考えています。

大人が、子どもたちの人格を評価することが、あまりにもナチュラルに教育現場では起こっています。

その慣習を改めて、学校の先生は教科の専門家として事実を分析はするが、生き方や人間性については、子どもを評価する立場ではなく、より良い社会をつくる一員として共に影響し合う存在でいいと思います。

私自身、子どもたちに上から目線で教えるというよりも、お互いの意見を伝え合って、その時のより良い選択をチョイスするという感覚で生徒と向き合ってきました。

だからもちろん、生徒の意見を採用することも少なくありません。

上下関係なく、より良いものを選択するスタンスがベストです。

② 先生の多様性が許される学校であること
子どもたちの多様性が輝くためには、先生の多様性が輝くことが大事だと考えています。
学校現場では、先生も評価の対象です。
「あの先生は学級通信を出しているのに、先生はしない」
「横並びで生徒が同じテストを受けるので、どの先生も同じ授業をしましょう」
「大学受験でしっかり点数が取れる授業をして下さい」
「こういう時は生徒にはこんな声かけをしましょう」
などなど、授業や担任業で、先生の多様性が尊重される機会はごく僅か。
私は、授業と担任業にはこだわりがあったので、なるべく他の先生とテストを共有せずに全てオリジナルでするようにしたり、担任業も生徒に他言しないよう念押しして「私は許す!」と自由にさせたりしていました。
学校を辞めた今だから言えることですね。笑
学校の先生も、
・プライベートを犠牲にしてでも働く先生
・授業に命をかけている先生
・生徒と信頼関係を築き、言うところはビシッと言って生徒に慕われる先生
などさまざまな基準で、良い先生・悪い先生と評価されています。
私は、先生に対しても、そのような画一的な視点で評価することには懐疑的です。
自らのプライベートをなによりも尊重する先生は仕事をしていないのかというと、そんなことはありません。
その先生の働きを見ていると、非常に要領良く仕事を的確にこなしていています。
プライベートを犠牲にしている先生も、その熱意が子どもの心を動かしているのかもしれません。
授業が面白くないと生徒からの評判も良くない先生も、教師間のやりとりを円滑につなぐことに長けていることもあります。
その先生がいるからこそ、実は学校が丸く回っているとも言えるかもしれません。
このように、先生一人ひとりの持ち味を先生同士が認め合える現場になったら、多様性を受け入れ合う空気は自然とできると思います。
生徒が「あの先生、いつも早く帰るよね」と言ってきたとき、「あの先生は定時までは少しの無駄もなく働いて、家では家事や育児を大事にする素敵な先生だよ。もし先生に用事がある時は、アポを取るようにすると良いよ。」と、他の先生がその先生を認めることができます。
生徒が「あの先生、授業おもんない」と言ってきた時も、「そうなんだね。あの先生がいるから、みんな円滑に仕事が回っているんやで。他の先生が授業を作るのに時間が割けているのも、あの先生のおかげかもしれないよ。」とその先生を認めることができます。
学校の先生も、得意不得意や個性があります。学校の先生は本当にさまざまな業務がありますから、どの業務に持ち味が最大限に生かされるかも、先生の個性によります
それぞれの先生が、お互いの違いを認め尊重し合えたら、教師チームのベストシナジーが生まれます。
子どもたちに、多様な人材が共存してベストシナジーを生んでいるというお手本を教師が見せることになります。
「相手の多様性を受け入れなさい」と口で言うよりも、教師が対生徒、対同僚などでやって見せれば良いと私は考えています。
まとめ
多様性を受け入れ合える社会をつくるために学校の先生として何ができるかの要点をまとめると以下の2点です。
特定の基準だけでジャッジをしない
教師同士で多様性を認め合い、「多様性を認め合う」のお手本をやって見せる
学校の先生が輝ける学校を実現することで、子どもたちが輝ける学校に
それが私のミッションです。
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